サバンナ港


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清水港の姉妹港「サバンナ港」

 

サバンナ港との姉妹港提携の経緯

清水港とサバンナ港の友好関係は、昭和57年のコンテナ船北米大西洋航路(ニューヨーク航路)開設に始まります。この定期航路開設を契機に、両港の振興発展及びポートステータス向上を図るため、友好代表団のやりとりを経て、昭和61年、姉妹港提携の調印に至りました。

現在ではニューヨーク航路の清水港寄港が廃止されていますが、その後も、「海の日」に開催される小学生図画コンクールにおける「サバンナ賞」の授与や、清水港100周年記念として「フレンドシップベル」の寄贈を受けるなど交流を続けています。
また、19年度からサバンナ港でも米国「海の日」にちなんだ図画&エッセイコンクールを実施しており、そこで「清水港賞」の授与を行っています。

 

提携の歴史

昭和57年 清水港とサバンナ港の間に定期航路開設

昭和58年 友好港湾提携調印(11/9 清水)

昭和61年 姉妹港提携調印(10/27 サバンナ)

昭和63年 清水港「小学生図画コンクール」における「サバンナ港賞」の創設

平成3年 姉妹港提携5周年植樹式(清水)

平成6年 ジョージア州港湾局設立50周年記念式典(東京)

平成11年 清水港開港百周年に際しサバンナ港から「フレンドシップベル」寄贈

平成19年 サバンナ港「図画&エッセイコンクール」における「清水港賞」の創設

 

サバンナ港の概要

サバンナ港には、コンテナ船の荷役を行うガーデンシティ・ターミナルと在来船や自動車専用船の荷役を行うオーシャン・ターミナルがあります。

サバンナ港の大きな特色は、沿岸荷役をジョージア州港湾局が行っているということです。アメリカの他の港では港湾局がターミナルを荷役会社にリースし船内・沿岸荷役を行わせることが一般的ですが、サバンナ港ではターミナルのリースは行わず、貨物の保管・引渡しは港湾局の業務となっています。これは、かつてコンテナ・ターミナルに寄港する船が少なかったため、港湾局が先頭となって顧客の開拓をしたという経緯があったためです。

近年、アメリカ南部の人口増加に伴い、ウォルマートやターゲット・ストアーなどの大型小売業者が、パナマ運河通峡後最初の大きな港であるサバンナ港近郊に続々と物流センターを建設しています。このため、その生産供給地であるアジアからのサバンナ港への直航サービスは毎週15本にのぼり、アジア発貨物の取扱量は毎年20%以上増え、全取扱量の60%以上を占めるようになってきています。

サバンナ港のコンテナ取扱量は、ガーデンシティ・ターミナルのコンテナ・バース整備が進み、年々増加しており、2006港湾会計年度(05年7月〜06年6月)では、初めて200万TEUを突破する見込みとなっています。

 

サバンナ市の概要

サバンナ市は、アメリカ合衆国の東海岸に位置し、フロリダ州に南接するジョージア州北東部の都市です。

この地には、18世紀まで「ヤマクローズ」と呼ばれる先住民が狩猟中心の生活を営んでいましたが、1733年、ジェームズ・オグレソープ(英国の慈善事業家)率いる開拓者たちの手によって、英国の植民地として都市が建設されました。

その後サバンナ市は、南北戦争最中の1864年12月24日、北軍のウィリアム・シャーマン将軍の手により陥落します。将軍は、サバンナの町があまりに美しかったので、この町を戦利品とともに北軍総司令官リンカーン大統領にクリスマス・プレゼントとして送る、と電報を打ったといいます。その美しい町並みは、歴史的な建造物を保存する努力により今に残されおり、毎年数百万の観光客が訪れる米国南東部有数の観光地になっています。

「サバンナ」という名前は、先住民の部族名を表す言葉から派生し、開拓者たちは川にこの名を付け、のち町の名前もサバンナとしました。

サバンナ市の人口は129,800人(2004年)で、周辺の町を入れたサバンナ圏の人口は310,000人(2004年)になります。主な企業はインターナショナル・ペーパー(製紙)、ガルフ・ストリーム(プライベート・ジェット機)などです。教育機関としては州立大学のほか、Savannah College of Art and Design があり、日本からの多くの留学生が学んでいます。日本からの進出企業には不二製油株式会社があり、食品用加工油脂を製造しています。

 


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