清水港の歩み

 清水港の歴史は、遠く西暦600年代(飛鳥時代)まで遡り、当時百済への救援船がここから出港したとの記録が残っています。

1500年代から1700年代(戦国時代から江戸時代)には、軍事上の要地として、また、海陸の交易地として幕府から重用されてきました。

 清水港の近代港湾としての幕開けは、1899年(明治32年)8月4日の開港場指定から始まります。

 明治期における蒸気機関の登場や産業の近代化と機を同じくして開港し、お茶の海外直接輸出に始まり、柑橘、缶詰、オートバイ、楽器等、静岡県内をはじめとした近隣地域の生産品を中心に、臨海部の工業化の進展に合わせ、港域と機能を拡張しました。

 また、時代の要求によるコンテナ輸送への対応にもいち早く応じ、国内有数の輸出港として成長するとともに、木材、大豆、ボーキサイト等の原材料の輸入港としても、県内及び中部日本圏経済を支え、高度経済成長期の日本で重要な役割を果たしてきました。

●飛鳥時代~江戸時代

西  暦

出   来   事

600S

斉明天皇の命により、朝鮮の百済を支援するため軍艦を建造し、救援軍として出港

1585

徳川家康が、駿河(現静岡県)の領主になり、清水港に水軍を置いた

1605

徳川家康が清水を軍事上海上交通の要衝と考え、港町をつくった

1615

幕府から42軒に回船問屋(現在の船舶代理店)としての営業権が与えられた

1717

幕府は、清水港に約5,500㎡の広さを持つ直轄の米蔵を設置

1813

回船問屋39軒、回船宿30軒のほか、魚市場などもあり、港稼業のもので多いに賑わった

1853

ペリー来航により横浜港開港。清水港でも開港準備始まる

1861

英国の測量船が清水港を測量

1863

清水港から横浜港へ『静岡茶』を初めて出荷

1867

大政奉還

●明治

西  暦

出   来   事

1876

清水-東京間の定期航路が開かれる

1879

17,820㎡の波止場が完成

1879

米国前大統領グラント将軍来港

1886

次郎長が船宿「末広」を開業

1897

清水横浜税関支署が設置

1899

開港場に指定

1904

マンダリンオレンジ200箱を初めてアメリカへ輸出

1906

緑茶515ポンドを神奈川丸 (日本郵船)で米国シアトルに初めて輸出

1908

マンダリンオレンジをカナダへ輸出

1910

清水港の緑茶の輸出量が横浜港を超す

1911

清水港の貿易額が初めて1千万円を超す(全国で輸出5位、輸入9位)

●大正

西  暦

出   来   事

1912

三保半島真崎に灯台が完成(日本で最古の鉄筋コンクリート製灯台)

1914

約169,000㎡の埋立地造成が完成

1914

清水港で塩を初めて輸入

1918

清水港のお茶輸出全国の80%を占める

1918

清水港から大豆油を初めて輸出

1921

清水-朝鮮間の定期航路が開設

1922

ソ連沿海州産木材の輸入開始

1923

関東大震災により京浜からの避難民が清水港に続々と上陸

1924

米国産木材の輸入開始

 ●昭和  

西  暦

出   来   事

1927

清水港折戸湾に約41万㎡の県営水面貯木場が完成

1929

延長800mの日の出埠頭が完成する。同時に2万トン級1隻、3千トン級2隻の接岸が可能

1929

県立水産試験場『マグロの油漬缶詰(試作品)』を初めて米国へ輸出

1929

Shimizu Port and Harbor Bureauが設置

1930

東南アジア産木材を初輸入

1930

伊豆沖地震により清水港の岸壁が大被害を受ける

1934

東南アジア方面を結ぶ定期船の清水港寄港が(月2回)が始まる

1934

横浜-北朝鮮直行便の清水港定期寄港開始

1935

大谷地震により岸壁が一部崩壊

1938

清水-天津間の定期航路第1船が入港

1939

航空機用アルミニウム生産のため、国策により日本軽金属㈱進出

1939

石油精製メーカーの東亜燃料進出

1939

耐火煉瓦の鶴見窯業進出

1939

石炭・木材荷役専用の新式テルファー(telpher)3機を設置

1941

清水-青島間定期航路第1船出港

1942

日本鋼管㈱、日立製作所等軍事関係の企業が進出

1945

B-29による空襲と艦砲射撃、機銃掃射により港湾施設に甚大な被害を受ける

1946

戦後初めての外国貿易船(シャーマン・オー・フォートン号)が援助物資を積み入港

1947

連合軍により貿易港12港のうちの一つに指定

1947

戦争により被災した港湾施設の復興開始

1949

開港50周年

1952

特定重要港湾に指定(外国貿易の増進上特に重要な役割を果たす港)

1959

石炭埠頭が完成

1962

第1次港湾整備5ケ年計画を策定(総投資額2,500億円)

1963

清水-沖縄間の定期客船航路開設

1964

年間貿易額が1千億円を突破

1966

興津第1埠頭の供用が開始

1968

興津第2埠頭の供用が開始

1969

東名高速道路が全線開通

1969

10万トン級タンカー初入港

1970

富士見埠頭のニューマチックアンローダーが完成

1970

北米東航路のコンテナ船PACIFIC  BANKER(14,162t)がコンテナ船第1船として入港

1970

興津第2埠頭にガントリークレーンが設置

1970

本格的なコンテナ荷役の第1船として、ハワイアンモナーク号が興津第2埠頭に接岸

1971

県営浜松内陸コンテナ基地を東名浜松IC付近に設置

1972

ソ連のナホトカとを結ぶ定期航路を開設

1972

北米西岸定期航路第1船入港

1973

袖師第1埠頭が完成。ガントリークレーン2号機が供用開始

1974

インドネシア航路のコンテナ第1船入港

1976

アフリカ航路の第1船アルペン号が初入港

1977

北米西南岸航路、北米西北岸航路の定期寄港が決定

1981

袖師第1埠頭コンテナヤードの一部及びコンテナクレーン利用開始

1982

袖師第1埠頭にコンテナターミナルが完成

1982

バンコク定期航路のコンテナ船寄港を開始

1982

北米東岸(ニューヨーク)定期航路寄港開始

1982

南アフリカ航路の定期寄港開始

1983

欧州定期航路の大型フルコンテナ船が初入港

1983

台湾・香港航路の定期寄港開始

1983

米国サバンナ港と友好提携調印

1984

中国青島港と国際友好港提携

1986

米国サバンナ港姉妹港提携調印

1988

富士見埠頭にチップアンローダー(400t/h)が完成

●平成

西  暦

出   来   事

1990

QUEEN ELIZABETHが初入港

1991

富士見埠頭に連続式アンローダー(600t/h)が完成

1992

みなと色彩計画の策定

1994

袖師第1埠頭にスーパーガントリークレーン(オーバーパナマックス対応)を設置

1994

富士見埠頭にチップアンローダー2号機(400t/h)が完成

1995

袖師第1埠頭にスーパーガントリークレーン(オーバーパナマックス対応)2号機を設置

1998

興津国際交流センター完成

1999

清水港開港100周年 式典を盛大に催す(8月4日)

1999

清水マリンパーク内テルファーゾーン、スケートパーク完成

1999

清水マリンターミナル完成

2000

第15回海の祭典メイン会場

2000

港湾EDI稼動

2002

特定重要港湾指定50周年(2月1日)

2003

新興津埠頭(水深15m、8,000TEU級のコンテナ船に対応)供用開始

2004

コンテナ貨物大型Ⅹ線検査場利用開始

2006
お茶輸出100周年
2009

清水港開港110周年

2011

国際拠点港湾に指定

2013

新興津埠頭第二バース一部供用開始

2017

国際旅客船拠点形成港湾に指定

イタリア・トリエステ港姉妹校提携調印

2020

清水港開港120周年

 

2019年清水港開港120周年を記念して作成した動画は下記の清水港管理局公式YouTubeチャンネルからご覧いただけます。過去、今、そして「これから」の清水港のイメージ。